御用水マップ

駿府城下町に清流を運んだ「駿府御用水」と「駿府用水」

徳川家康公が将軍職を降り、大御所として駿府に居を構えるにあたり、駿府城の築城や、薩摩土手をはじめとする大規模な土木工事を実施して安倍川の治水を行うと共に、城下町へ運ぶ「駿府御用水」と「駿府用水」の整備を行いました。
「駿府御用水」は、安倍川伏流水を水源とする「鯨ヶ池」を起点に、駿府城の堀に注ぐ専用の用水でした。
一方、「駿府用水」は、安倍川から取水し、はじめに上流武士や寺社地域を流れ、末端は特に水を汚す職業集団や田畑の農業用水として利用されていました。水を汚さないように生活雑排水は枡で浄化してから用水へ落とすこととしたり、見回り役による用水の監視や毎月1回の町民による清掃作業の義務付け等、様々な仕組みや取り決めがありました。
このほか、町を縦横に流れる用水は、町の浄化や、防火など様々な用途に利用され、駿府城下町は当時、画期的な「清流の都」であったことが伺えます。

安倍川の流路変遷
徳川家康公在城当時の駿府城下町
いまの用水マップ 市街地で清流を身近に感じるスポット